咲-Saki‐全国編‐第4話を視聴しました。
此処まで安定した滑り出しに安堵しています。
昨今のアニメは正直安心して観ていられないモノが多く、咲-Saki‐全国編‐の安定度には心安らぎます。
咲-Saki‐の原作を読むようになって、麻雀に対する考え方みたいなモノが変わりました。
自身、麻雀はテレビゲームでやる程度で役も得点の数え方なども殆ど分からない素人です。
(アカギや天等も読んだりしますが・・・)
麻雀は運の遣り取り、流れはプレイヤーの心理から生じる揺らぎとして存在する。
確率論は対人戦では万能ではない。
強運の持ち主が強い遊戯。
と、捉えていました。
しかし咲-Saki‐を読み考察を重ねて・・・それが正しい訳ではない事に気が付きました。
強運の持ち主が強いと云うのは一側面として正しい、しかし強運の持ち主が必ずしも強者になる訳ではない。
加治木ゆみ、愛宕洋榎、江口セーラ等の強者・・・そして能力者の弱点や特性・・・
勝った時の能力者、負けた時の能力者、なぜ能力者は負けたのか?
勝因と敗因を探る内に、麻雀の強者と云うモノが見えてきました。
勝ったのにも負けたのにも理由がある。
驕りや傲慢、能力の過信だけではない、そこにはもっと確固たるモノがある。
能力者は能力故に強いのか?・・・
デジタルは強い・・・
龍門渕透華が「私や原村(略)~」
と、長期的スパンで見た場合デジタルは強い。
能力者は短期決戦では強いので、大会等には向いている。(あくまでネタバレしていなければ)
これに思い立った時に嫌だなと思った事が一つ。
それは「原村和が真の天才」と認めねばならなかった事。
原村和は所謂マスコミが作り上げた虚像の天才で、何処かで苦悩する事になると期待していた。(マスコミが作り上げる、虚飾化された人間は好きではないので)
原村和の強さが予想以上と判明し、私の中で咲-Saki‐世界の強さのランキングが変動。
但し、デジタルは作中では地味、活躍は微妙になるので、実際の作中での強さは微妙になるかもしれない。
1月初めはまったり出来たので余裕をもって更新とか思っていたら、忙しくなり過ぎて1月最後での更新となってしまいました。
アニメの流れは良い感じですね。
来年には「シノハユ」、再来年(咲日和希望)・・・その次の年位に準決勝・決勝編ですかね。
このま良い方向で作品が続く事を期待します。
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テーマ : 咲-Saki-
ジャンル : アニメ・コミック